傍からみれば、ただの勘違いした人間でしかないんじゃないか?
たまたま人生経験が偏っていただけで、本当は別の性別なんじゃないか?
客観的に考えても、自分はXジェンダーじゃない気がする・・・。
とはいっても、Xジェンダーが一番しっくりくる。
そんな自分の心に嘘がつけない。
その気持ち、痛いほどわかります。
私も長い間、『Xジェンダーを名乗るべきか』悩んでいた時期がありました。
悩み抜いたすえにたどり着いた結論が、『いまはXジェンダーを自認しておこう』だったのです。
もし過去の私と同じようにXジェンダーか悩んでいたら、ぜひXジェンダーを名乗ることをおすすめします。
そう考える理由をご説明していきますね。
スポンサーリンク
本当に思い込みや勘違いだったかどうかは結果論
正直なところ、Xジェンダーが本当に自分の性別を表しているかどうかは、この先の人生を歩まないとわからないことです。
だったら『いまの自分がどう思うか』だけを考えて、Xジェンダーを自認するか決めていいと思います。
そもそも人間自体変わり続けるもので、終始一貫した価値観をもつのは難しいことです。
食べ物の好き嫌いが変わっていくように。
好きなミュージシャンが変わっていくように。
将来なりたい自分が変わっていくように。
性自認が変わるのも自然なことだと思うのです。
「子どものときはピーマンが苦手だったけど、いまは食べられる」
ピーマンが苦手だった自分も確かに自分だし、ピーマンを好きで食べられる自分も確かな自分ですよね。
あのときなんでピーマンが苦手だったんだろう? と振り返る瞬間もあるかもしれません。
・なんとなく食わず嫌いしてた
・たまたま食べたピーマンが不味かった
・親を困らせたくて過剰に不味いふりをしていた
そう考えられるのって、後々ピーマンを克服した自分がいるからじゃないですか。
性別も同じことだなと思います。
男として・女として違和感を覚えつつ、もがきながら生きた自分。
Xジェンダーが一番しっくりくると思った自分。
・・・では将来の自分はどうだろうか。
後で自分の性別をどう思うかは、未来の自分に託してしまえばいいのです。
・やっぱりXジェンダーが自分らしさを表現していると思うか
・違和感を覚え続けた男/女でいることに居心地がよくなるか
・性別適合手術を受けたくなるのか
などなど。
自分の性別にこだわりすぎるあまり、未来の自分がどの性別を選び取るのか? というゆとりまでも消す必要はありません。
いまの自分はXジェンダーを名乗ることが、一番しっくりきて落ち着く。
その事実だけで十分。
Xジェンダーを自認しないほうが生きやすい未来がくるなら、それはそれで素敵な未来だと思います。
自分の性別に一貫性を求めすぎるあまり、自分の未来や幸せを縛ってしまうのは本末転倒だなと。
そのように自分の性別に踏ん切りがついてから、私の人生を、私の力で動かせられるようになれました。
そのターニングポイントを経験したからこそ、思い込みや勘違いであっても、とりあえず『Xジェンダー』を自認していいんじゃない? と思い至っています。
『自分らしさ』は性別以外のところにもある
自分とは? 自分ってなんだろう?
なんでみんなが当たり前のように持っている性別を、自分は得られないんだろう?
その疑問に落としどころをつけたくて、Xジェンダーを自認するかどうか悩んでいるはずです。
長年悩み続けてきたからこそ性別は、自分らしさのなかでも大きなウェイトを占めますよね。
でも性別は自分を表現するものでしかない、と私は思います。
表現できるものがあっての性別なのです。
極端な話で、しかもキツい言い方になりますが、性別にこだわりすぎてしまうと、性別にしかプライドをもてない人間になってしまう恐れもあります。
性別を得ること以外に、自分のしたいことは何か。
なりたい自分は何か。
自己実現に集中するためにも、いったん自分の性別をXジェンダーだと仮定してみてはどうでしょうか。
勉強でも仕事でも。
昔なりたかった夢や、いまやりたいと思える習い事。
どんな些細なことでもいいと思います。
なりたい自分へ向けての小さな、小さな積み重ねをしていくなかで、性別への考え方や人生観が変わっていきます。
理想の自分に近付いたとき、理想の自分にたどり着いたとき、どんな性別を自認したくなるのか。
そこでまた、どんな人生を歩みたくなるのか。
人生と性別、それぞれに影響を及ぼし、自問自答しながら生きた未来にこそ、本当に納得のいく性自認ができると思うのです。
スポンサーリンク
まとめ:いまどんな性別を自認したいか、だけを考えよう
・Xジェンダーを自認したいならしてみれば良い
・勘違いだったかどうかは未来の自分が決めること
・性別以外の自分らしさを追うなかで、自然と決まっていく
実際に私がXジェンダーを自認してからは、いろんなことへ興味が向くようになりました。
それだけ日常生活で、性別について悩む時間が膨大だったんだな、と振り返って思います。
やりたいと思うことをやってみて、「やっぱ違う」と思ったら辞めればいいだけなのです。
良い意味で不真面目になれたからこそ、自分で人生をいきられるようになれたと実感しています。
「やっぱ違う」と考えるのは、夢や趣味を突き詰めるのと同じように性自認もです。
Xジェンダーなんて勘違いだったわ、なんて笑い飛ばせる日がくるならそれでいいじゃないですか。
いま必要なことは立ち止まることじゃなくて、前に進むこと。
そのために、自分の性別をXと仮置きしておくだけのことです。
結論を急ぐ必要はないし、自分を押し込める必要もありません。
まずは走りながら考えてみてはどうでしょうか、という提案でした。