料理が趣味、と言うのが苦手です。
なぜなら趣味の性差を押し付けられるような気がするから。
特に社会へ出たときに強く思うようになりました。
道徳の範囲内なら趣味に優劣の格差なんてないのに。
ましてや趣味と性別なんて関係ないのに。
「へぇー、料理が趣味。すごい。男なのにえらいね」
「実家暮らしのときには晩御飯も作っていただなんて。うちの男性陣は何もしないから羨ましい」
「いいなぁ。うちの娘は全然料理できなくって・・・」
どうして男で料理が趣味だと、「男なのに」といったほかの男性と比べられるんだろう。
どうして男で料理が趣味だと、「うちの娘」といったほかの女性と比べられるんだろう。
実際だれが料理をしようが関係ないはずだし、性別こそ関係もないはずです。
じゃあ男が料理をすることは褒められることなのか?
じゃあ女が料理をしないことは責められることなのか?
そんな違和感を突き付けられたのが、就活で面接をおこなったときでした。
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なぜか性別が男で料理が趣味だというと褒められる違和感
口々に面接官の方々から「趣味が料理なんてすごいね」といわれるのです。
「男なのに」という枕詞付で。
面接なのもあって「就活生の緊張を和らげるためにも適当にヨイショしておけ!」という心理は面接官の方々にもあったはずです。
それでもただの雑談つもりで話すからこそ、面接官の方々が放つ言葉も素が出ます。
「男なのに」「女なのに」という接頭語が出てくるところにも。
実際に料理をして家事を手伝うことに「えらい」と思うなら、男女関係なくえらくて当然です。
料理をするのが男か女かで、えらさも変わってくるのがむず痒く感じます。
こういう違和感って、面接官と自分との間に世代差があるから感じるんじゃないの? とも思われるかもしれません。
確かに年齢が上がるほど『夫は仕事、妻は家庭』の生き方が普通の社会だったので、世代差があるという主張はもっともです。
対して私たちは年上の世代と比べて、多様性のある生き方に親しみがあるといえなくもないでしょう。
特にSNSの台頭とともに青春を謳歌した世代でもあるので、いろいろな生き方に触れる機会は多くありました。
だから世代間で価値観の違いがあるのはしょうがない、と片付けてしまうのは乱暴です。
理由は同世代のなかでも「男なのにすごい」というニュアンスの発言を受けることがあるから。
ここでは直接「男なのにすごい」といわれるのではなく、「女子力がある」という言葉に換言されるのです。
男性に女子力があると褒められるという違和感
年齢差があるから「男なのに料理をするなんてえらい」といわれるのだ、と思いきや同世代でもそうではありません。
同世代では「料理ができるなんて女子力あるね」と別の言葉が使われます。
女性に対して「(家事ができて、気が利いて…etc)女子力があるね」というよりも、男性に対して「女子力があるね」という使われ方が多いです。
男なのに女子力がある、という逆説的な表現に面白みがあって使われるのではないでしょうか。
(あくまでも自分の感覚のなかでの話なので、別のコミュニティでは違った使われ方をしているのかもしれません・・・)
ここで覚えてしまう違和感が、女性には女子力がないと減点対象になり、男性に女子力があると加点対象になることです。
・女性が女子力をもっていることは普通
・男性が女子力をもっていないことは普通
このように性別によって女子力のもつ言葉のニュアンスが変わるように感じます。
なので「女子力あるね」と褒め方をされるとき、別に女子力をもつのが誰であっても褒められるべきなのになぁ、と思ってしまうのです。
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本当は違和感も何も覚えずに素直に喜びたいだけだったり
「男なのに料理をしてえらいね」
「女子力あってうらやましい」
違和感があるだけで本音は嬉しいといえば嬉しいのです。
でもそれは私とほかの男性、男性である私と女性をそれぞれ比べたときに「えらい」と言われているにすぎません。
なのであまり嬉しがれないというか、どこか素直に喜べない自分がいます。
なんだか不当に褒められているようでこそばゆい気がしてしまうんですよね。
多分私が女性だったら褒められてないんだろうな、って思うと余計。
いつか「男なのに」とか誰かと比べるような枕詞なしに。
「すごい! えらい!」
「家族のためにご飯を作るなんて親孝行だね!」
「いいな! 作ってほしい!」
(褒められちったガハハ)
なんて思える瞬間が来たらいいな、って思います。