なぜセクシュアリティを自認するのか。自分はXジェンダーを自認して自信を得られたから。




 

どうも、あらけきです

 

なぜ、人はセクシュアリティを自認するのでしょうか

 

よく「自分らしさ」を表現するためにセクシュアリティは用いられます

でも究極のところ、自分が納得できるのであればセクシュアリティなんて関係ないですよね

 

それでもわざわざセクシュアリティに自分をあてはめるのはなぜか

自分は生きる自信につながったからです

 

そういったセクシュアリティを自認する心理を、自分なりに噛み砕いてみました

 

セクシュアリティの自認=自分は普通だという安心感

 

自分はXジェンダーを自認することで、独りぼっちじゃないんだと思えました

なぜなら自分と同じ思いをして生きる人がいるだなんて、私生活ではまったく考えられなかったからです

 

単純に異性が好きなわけではない。同性が好きといえばそうだ。だからゲイなのか? といったらピンとこなかった

そもそも自分が男だという意識があまりなかった。男性性をもつ自分が男性性に惹かれて男を好きになる、というのがしっくりこない

女性はまったく恋愛対象にならないわけでもなかった。好意をもった人たちは男性性を持っているから好きになった、わけではなかった

別に女として男に愛されたくはないし、女になりたくもない。でも自分が男であることにも違和感がある

周りを見ればそんなことで悩む人なんていない。いたとしても自分からはみんな自分の性別に違和感なんてもってなかった

 

自分は何者なんだろう。マイノリティにもなりきれない自分ってなんだろう

マイノリティからもあぶれてしまった自分のやり場のなさに困惑する日々、自分にそう問い続けて過ごしてきました

 

そんななかXジェンダーというセクシュアリティがあると知りました

あ、自分が今まで感じていた違和感のすべてがXジェンダーだと説明できる!

そう思った瞬間、体中に張っていた力がいい意味でほどけていきました

 

自分が世の中の何らかの枠に収まった、という事実が自分は普通なんだと思わせてくれました

自分にとってセクシュアリティを自認することは、自分とまったく同じような悩みをもって生きる人がいるという安心感を得ることでした

 

あくまでも自分を納得させるために自認している

 

自分は嘘偽りのない、ありのままの自分で見られたいからセクシュアリティを自認しているわけではありません

意外に思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、他の人から自分が男として見られるかどうかはあまり関係がありませんでした

 

たとえば男性でありながら男性が好きであることに引け目を持っている場合、それを隠すために嘘をついたりするでしょう

自分を押し殺さず、堂々としたい。そのために周囲へ自身がどういう人間であるかを説明するためにセクシュアリティを使う。というのはよく耳にすると思われます

 

それよりも自分のなかで巻き起こる、性別に関連するもやもやに一貫性を持たせられたからこそXジェンダーを自認しています

だから生きていくうちにXジェンダーという考え方に違和感を感じたら別のセクシュアリティを自認しようと思っています

 

誰かからそのセクシュアリティで見てもらうことで生きやすくするよりも、セクシュアリティに悩みを肩代わりしてもらうほうが自分に合っていたというだけなんです

 

セクシュアリティの自認はつぎへの一歩

 

自分自身、Xジェンダーに出会ってからは性で悩むことが少なくなりました

この悩み自体、世間ではありふれたものだから考えたってしょうがないといい意味で諦めがつきました 笑

 

そのため今まで性で悩み続けていた時間を別のことに使えるようになりました

セクシュアリティの自認がまわりまわって新たな一歩を踏み出すきっかけになったんです

 

独りぼっちじゃない、自分は普通の人間なんだ。だから安心して堂々とできる。そんな気持ちを忘れないためにもXジェンダーを自認している節があります

 

セクシュアリティ1つをとっても世間にはいろいろな考え方があります

それだけセクシュアリティを自認する意図も個々人によって変わっていきますし、その意図には人生観が色濃く反映するでしょう

 

「この人は何に重きを置いた人生を送りたいのだろう」

そんな視点を持ってみると、なぜセクシュアリティを自認するのかという答えも見えてくるかもしれません