性差を強調する服装への嫌悪感が減ってきた話




 

以前、以下の記事を書きました。

 

かいつまんで話すと、

・性差を強調する服装に嫌悪がある

・「学ラン=男性」など、条件反射的に性別を振り分けられるのが嫌だった

・理由は私という個人が『男性』を通してしか評価されなくなるから

といったところです。

 

しかし、最近は服装に頓着しなくなってきています。

というか嫌悪感を気にしていたら、逆に生きづらい場面が出てきてしまったのです。

 

Xジェンダーで無性を自認する私が、どういった経緯で服装を重視しなくなったのか、どう心持ちが変わったのか、について説明していきます。

参考になれば嬉しいですし、少しでも楽に生きられるお手伝いができるなら幸いです。

現在:服装は自己プロデュースの一環に

  あれだけ嫌だった男性性を誇張する服装が、現在はそこまで気にならなくなったのは、自分の印象操作に都合が良い、と感じるようになったからです。

 

社会に出ると学生時代以上に、外見で判断されることが多くあります。

なかでも男性的な格好から離れるほど、舐めてかかってくる大人が増えることにも気付かされました。

察しのとおり、人を見て態度をコロコロ変える社会人は、本当にろくな人間がいません。

そいつらが「この人なら扱いやすそうだ」と近寄ってきてしまうのです。

  その事実にはっきりと気付いたきっかけが、髪を切ったことでした。

目に見えて『人を貶めることでしか自分を保てない弱い人間』が近寄ってこなくなりました。

私は無性を自認しているので、ミディアムぐらいの長さが自分らしい髪型です。

それを一気にショートよりやや短いぐらいまで切ったのです。

すると交流する人の質が変わって、とっても生きやすくなりました。

 

そのとき「人に期待するだけ無駄じゃん」と。

いままで格好で自分らしさを表現しているようで、どこか人から無性っぽくも見られたいと思っていた自分に気付いたのです。

その結果、無性として見られるかどうか以前に、人として尊重されない仕打ちを受けるハメになっていました。

無性だと他人に認められなくったって、自分が自分を無性として認められていればいいじゃないか。

自分らしさのせいで生きやすさが犠牲になっていただなんて、本末転倒だよな。

だったら自分の男性性を、最大限に活かしてみよう。

 

そんなことを考えて、いまはいろんな服装を楽しめています。

これまで容姿にかかわる誉め言葉は苦手だったのですが、いまは「かっこいいね」などといわれると狙い通りの印象操作ができているとわかって嬉しくもありますね。

「いまの男性の格好は、世を忍ぶ仮の姿」みたいに、割と遊びに近い感覚でやっています。

コスプレ、といったらコスプレみたいなものかもしれません。

もちろんプライベートはパーカーとかニットとか、自分らしいなと思える格好で過ごしています。  

『自分らしさ』にこだわりすぎていないか確認しよう

  以前の私は、自分らしさを気にするあまり、生きやすさを犠牲にしてしまっていました。

けれど無性である自分も、また確かな自分である。

その折衷案として、心のなかの性別だけを大切にすればいい。

外見は所詮お飾りで、初対面の人に自分のすべてを理解してもらおうだなんて、セクシャルマイノリティでなくたって難しいことだしね。

 

以上が服装に悩み続けた私の、1つの納得のいく落としどころです。

自分がどんな性別で、服装でどう表すかはもちろん重要なこと。

ただ「なんのために」服装で自己表現するのかは、無視しないでください。

生きやすさを得るために服装を利用するならば、別の視点を持つと、もっともっと楽に生きられるかもしれない。そんな一例でした。

参考になれればと思います。

 

多様性をもっている人たち

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