パートナーいる?という配慮された表現への違和感




 

セクシュアルマイノリティといった視点を知ったとき、言葉のニュアンスでしばしば悩むことがあるかと思います。

たとえばお付き合いしている人がいるか気になるとき。

・彼女いる?

・彼氏いる?

本当にこのように聞いてしまってよいのだろうか、と疑問を抱くかもしれません。

相手の性的指向は、その人の見た目や身体的な性別からは判断できない。その事実を知った手前、お付き合いしている人の性別をハッキリさせるような言葉を使ってよいのか、と。

 

そういうとき、私は「いい感じの人いる?」と聞くようにしています。角のたたない表現のなかでも、一番自然だと思うからです。

なら「パートナーいる?」はダメかというと、ダメじゃないのですが不自然なんですよね。

今回はしっくりくる言葉について、ちょっと考えていきたいと思います。

 

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「パートナーいる?」の配慮している感

 

実際、お付き合いしている人を『パートナー』という外来語で表現するのは、とても良い発想のように思います。

彼氏、彼女、夫、妻、などなど。われわれ人間同士の関係を表す日本語は、性別と結びついた言葉が非常に多いです。(だから日本語は欠陥がある! と言いたいわけではありません。)

なら言葉ににじむ、性の気配があまりない言葉を選ぼう、というのは当事者である私としても、ありがたい世間の流れだと実感しています。

 

が。今度は『パートナー』という言葉を使うことの、「配慮している感」を感じてしまうのです。

言われる分にはよいのですが、問題は言うとき。

 

性別に配慮した表現をしている自分が、表現されてしまう。少なくともセクシュアルマイノリティ関連の話題に、人よりは明るいことがにじんでしまいます。

そこに、わざとらしさがないだろうか。と。

日常会話で急に『パートナー』という言葉が出てくると、相手を「お?」と引かせてしまうのではないかという懸念があるのです。

 

うーん。なんというか、配慮が押しつけがましいというか。

日常会話なのに、配慮が主になったコミュニケーションになっているのではないか。

配慮が主になるということは、会話主同士の距離が詰まらない。もしくは距離を空けにいく行為でもあるわけです。そんなすれ違い方は、もったいない。

 

もしかしたら、こう思う人もいるかもしれません。

「わざわざ『パートナー』という言葉を使うってことは、ゲイとかレズビアンとかと思われてる?」など。

実際にそう思って言ってなかったとしても、以上のような深読み、ないしは曲解をされてしまうのも無理はない気がしています。

 

なぜなら『パートナー』という言葉を、これまで私たちは日常的に使ってきていないから。

なのに『パートナー』を使う。そこの、わざとらしさは、安易に出してよいものだろうか。

性的指向を勘違いされる苦痛を知っているからこそ、言葉ひとつにも慎重になりたい自分がいるのです。言葉の受け取り方の問題といったらそれまでですが。

 

せっかく性別のニュアンスがない便利な言葉を見つけたのに、それを不自然だから使いたくないだなんて。注文も多ければ文句も多い。じゃあどうしたらいいんだ!

 

「いい感じの人」「気になる人」「恋人」「付き合っている人」

 

『パートナー』という言葉の問題点は、日常的に使わなすぎた言葉であったことです。

なら日本語のなかで別の言葉を探してみましょう。

・いい感じの人

・気になる人

・恋人

・付き合っている人

これらなら日常会話でも自然になじむし、変な誤解も生まなくて済むのではないでしょうか。

なにより自分にとってしっくりくる言い方だと思ったので、ここらへんの言葉はよく使っています。

 

もちろん『パートナー』という言葉に対して、特に違和感もなくしっくりくるのであれば、ガンガン使ってよいとも思っています。

今はいわゆる、『パートナー』という言葉が浸透する黎明期。

きっと数年後、十数年後には『パートナー』を抵抗なく、みんなが使いはじめそうな予感もしています。

そうなってくると、これまでに挙げた私の違和感も、まったくなくなりそうですね。それはそれで良いこと。

 

各々が各々しっくりくる言葉を選んできた結果、様々な歴史を経て、いまの日本語はあります。

もちろん配慮した表現を使うことは大事です。(むしろご協力いただいてありがたい!)

そのなかで、自分の実感とあう言葉を探してみては? とどっちつかずな結論で終わりたいと思います。

 

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