Xジェンダーという言葉と出会い、3年が経とうとしています。
この3年間は本当にいろいろな出来事があり、価値観が変わるようなこともままありました。
いったんここで振り返って思うのは、Xジェンダーを自認して良かった。心からそう思えます。
Xジェンダーであることを自らカムアウトして、理解してもらえる人と出会えたから、とかそういう理由ではありません。
SNSで公表して、Xジェンダーのコミュニティに入ったとか。そういうんでもないのです。
むしろ誰にも話さずに過ごしていたため、人間関係で何かが変わったことは一切ありません。
変わったことは、自分の気の持ちようです。
ただそれだけのことで、私はXジェンダーを自認して良かったと思っています。
・Xジェンダーを自認するか迷っている
・Xジェンダーなんて勘違いだよ
・Xジェンダーを自認して何になるの?
などと疑問を持たれている方には、ぜひその理由を読んでいってもらえたら嬉しいです。
スポンサーリンク
自分が自分であることを受け入れるための自認
Xジェンダーを自認して変わったことは、自分の気の持ちようだとお話ししました。
私はXジェンダーを自認することで、自分を自分として受け入れられるようになったのです。
私の場合、自分が誰とも同じでないことにひどくコンプレックスを持っていました。
小中高を過ごしたのは2000年代のこと。
いまとは違ってSNSもなく、セクシュアルマイノリティについて情報を集めるのが困難な時代でした。
知るとしてもテレビぐらいなもので、ゲイ・レズビアンあたりがギリギリ知れるレベルだったのです。
むしろセクシュアルマイノリティ=オカマ・ニューハーフ=嘲笑の対象、みたいな認識すらまかり通っていたかもしれません。
小学校低学年のころに私は、既に自分の性別について違和感をもっていました。
男でも女でもないと悩む私と同じ人間を見つけるのは、ほぼ不可能なことでした。
自分は誰とも同じではない。そんな疎外感や孤独感を覚えながら生きるのは、小学生当時のメンタルでは抱えきれないものだったのです。
個々のエピソードを話すと長くなるので割愛しますが、男でも女でも性別がしっくりこない自分はおかしい人間なんだ。
そう強く思うようになると同時に、
・どうして自分は普通でないんだろう
→どうやったら普通になれるのだろう
→最低でも男か女か、どっちがしっくりくるのか白黒つけなければ
→やっぱりどっちも違う気がする、そんなどっちつかずな自分という人間はダメな人間なんだ
→どうして自分は普通じゃないんだろう(最初に戻る)
このように自己否定のループから抜け出せなくなっていきました。
周りから「男のくせに」「女よりもダメだ」とか、そういった言葉を浴びせられるほど、この自己否定は強くなっていったのです。
冷静な気持ちで振り返ってみると、「いやいやバカなんじゃないの?」と思うし、読んでいる方もそう思うかもしれません。
もっと自分の意思を持ったら? とかいろいろ考えるところがあるのでは。
でも精神が不安定なときって、まぁそんなものです。私はうつ病も経験したこともあるため、余計にそう思います。とりあえずそういうものと仮定して読んでいってください。
男らしくなるためにはどうしたらよいか。
女っぽいとどうして言われてしまうのか。
いろいろ試してみても、どれもうまくいきませんでした。
いま思うと、自分でない何かを追い求めるあまり、不得意なことばかりに挑戦してきたように感じます。
自分らしさを消すために苦手なことを挑戦する。それはストレスでもあり、粘り強くやったところでまったく成果が出ずに、余計「自分ってダメなんだ」と。
無能の証明を続けるような徒労をし続けてきたわけです。向いていないことをやっていたんだから当然なのですが、それすら気付けなかった。
そんなときにXジェンダーという言葉と出会いました。
私は何かになろうとするまでもなく、自然な私でいいんだ。
その事実にただただ救われたのです。
それはいま性別について悩んでいる自分だけでなく、性別に関して傷ついてきた過去の自分をまるっと肯定してくれました。
欠けた自己肯定感を取り戻すための自認
Xジェンダーを自認することで、自分は自分のままでいいんだ、という自己肯定を得られました。
しかし自分は自分のままでいいとしても、そこに縋っているばかりでは成長はありません。
本当にすべて、Xジェンダーのせいにしてよいのだろうか? そう考えるようになりました。
とりあえず私は、これまで自己否定し続けてきたために失った自己肯定感を取り戻すまでは、Xジェンダーを自認し続けておこうと決めました。
Xジェンダーにこだわる理由って、私に限っていえば『性別へのコンプレックス』なわけです。
そしてそのコンプレックスとは、過去の出来事から強く強く影響を受けてもいたのですね。
いまの自分が何をしようと、何を感じようと。
「でも、あの人にあんなこといわれたしなぁ・・・」
「自分ってこんなことしていい人間じゃないから・・・」
なんて、過去の出来事を参考にして、自分にブレーキをかけまくっている。それが現状でした。
そうとわかれば、私にとっての敵は過去です。
コンプレックス脱却のため、私は以下のようなプランニングをたてました。
・Xジェンダーを自認して、過去ベースの自己否定をやめる
→自分へのブレーキを解いて、やりたいことをやってみる
→試行回数を重ねて成功体験を積む
→思考時間の割合が、過去よりも現在に向くようになる
→性別へのコンプレックスが薄まる
少なくともXジェンダーを自認するうえでは、過去のことを考えずに済ませられます。
自己否定の蛇口を、まずは締める。
そのことによって、狙い通り2つの嬉しい出来事がありました。
・性について悩む時間がまるごと浮いた
・やりたいことや好きなことへ気持ちが向いた
私には健全に生きるための時間も、メンタルも足りていなかったのです。
そこから成功体験こそあまり積めなかったものの、「自分ってやろうと思ったらいろんなことができるんだな」と。思った以上に自分は何かをできる人間なんだと気付けました。
結果として、過去は過去として受け入れられるようになっていきましたし、その出来事と現在の自分を紐づけないような意識を持てるようになれたのです。
最初に私はXジェンダーの自認によって変わったのは、気の持ちようだといったはずです。
気の持ちようが変わったことで、おのずと行動を変えることにも成功できました。
以上がXジェンダーを自認して良かった、と思った顛末です。
スポンサーリンク
いまではXジェンダーを意識せず過ごせている
Xジェンダーを自認し続けて、いまは「自分がXジェンダーだ」とは特に考えずに過ごせています。
自分でXジェンダーなんだ、と気負う以前に、自分は自分なんだと思えるようになれたからです。
仕事や私生活で「男らしく」「男のくせに」などの性別役割を求められても、「まぁそう思う気持ちはわかるなぁ」と。
事実は事実として受け止めて、その事実に対していちいち感情を動かないようにもなれましたね。
そこまでくると、過去ともかなり距離を置いて見つめることができるので、
「ここは改善しなきゃだなぁ」
「この部分を改善するのはコスパ悪いから諦めよう」
などと過去を振り返ったとしても、自分の無理のない範囲で成長を目指せるようにもなれました。
まだ私はXジェンダーの無性がしっくりくるので、当分はそんな気分で生きていこうかと思っています。
これからも、ほぼ誰にも打ち明けずに過ごすつもりです。