部活動の先輩から「女だったらよかったのに」と言われた話




 

こちらの記事で、セクシュアルマイノリティは後天的になるのか? という話をしました。

セクマイは先天的・後天的?Xジェンダーで無性の私を例に話す

要は人との関わりのなかで、男としての尊厳が傷つけられ、自分が男である現実に耐えかねた結果、なかば転移行動としてXジェンダーを自認しているのではないか説ですね。(超超超身も蓋もない言い方をすれば、こんなもんです。)

 

じゃあどんなことがあったから、そこまで思いつめてしまったのか。その理由は上記の記事にのっているもの以外にも、たくさんあります。

今回はその1つについて話そうかと思っています。

 

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尊敬していた先輩からのひと言

 

中学生のころ、自分の所属していた部活には、競技ですばらしい成績を収めている先輩がいました。

ストイックであり、度重なる怪我を乗り越えつつも、コンスタントに結果を出し続ける。

その姿勢に憧れもあったし、純粋にすごいなって。後輩として先輩が結果を出せるためのお手伝いができたらとっても嬉しかったし、応援もしていました。

自分でいうのも変な話ですが、まぁまぁかわいがってもらえていたと思います。

 

ある日。

「お前、女だったらよかったのにな」

そういわれました。

 

脈絡もなく急なことだったので、素直に思ったことを素直にぽっと言っただけなんだと思います。

だからこそ、グサッときた。

 

自分が女だったらワンチャンあったとか、先輩からそういう目で見られていて嫌悪感があったとか、そういうのはまったくなくって。

純粋に男としての自分を否定されたことが、悲しかった。

ほかならぬ、尊敬していた先輩に。

競技者としての自分は全然結果は出せなかったし、でも出せないなりに頑張っていました。

なんか、そういった頑張りがすべて否定されるような、そんな魔力のあるひと言だったのです。

 

きっと自分は、先輩を競技者として尊敬していたのだと思います。

だから競技者としての自分が、おのずと否定されてしまって。

当時は部活によってアイデンティティを支えられていたところもあったので、男としての自分も否定されたような。そんなふうに受け取ってしまった。

その先輩が体格のいい人で、男性らしい人だったからというのもあるかもしれません。

 

とにかくそのひと言から、性別というのは乗り越えがたいものなんだと、改めて実感しましたね。

同時に人の良し悪しに男女は関係ない、と思っていた自分が変なんだとも思い知らされました。

 

言葉の中身よりも誰の言葉かを気にしてしまった

 

「お前、女だったらよかったのに」

別に言葉だけだったら、ほかの人にいわれても「あっそう」ぐらいに思えるのですが、思い入れの深い人だっただけに重く受け止めてしまったんだなと。

しかも結構長い間過ごしてきての言葉だったので、ずっとそう考えてきたのかな、そう考えながら接されていたのかな、と時間の重みも考えてしまいましたね。

 

みんなと自分は性に関しての捉え方が違う、という自覚は、自分らしさをひどく押さえつけました。

のびのびと人と接することができずにいたせいで、人付き合いが苦手だった。

そんな背景もあり、近しくなれた人からの言葉や感情に敏感になっていたのかな。

依存とまではいかないけれど、繋がれた関係を大事にしすぎたあまり、受け取った言葉の深読みをしてしまっていたのではないか。いまではそう思えますね。

だから言葉ひとつに傷ついてしまう。客観的にみれば、必要以上に傷ついているように思えるんじゃないでしょうか。

出来事の断片だけをみたら、そう思うのは無理もありません。

ただ、それは氷山の一角なのであって、いろいろな人間関係、人生経験が積み重なっての反応だったのだ。そう捉えてもらえたら嬉しいなと思います。