チャットモンチーのハナノユメの歌詞にXジェンダーの私が共感する理由

chatmonchy has comeのアルバム表紙 チャットモンチー

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チャットモンチーの『ハナノユメ』の歌詞でどんなところに共感を覚えたのか解説します。

Xジェンダー視点、というよりも同性愛的な視点といったほうが近いかもしれません。

 

・こんな視点で曲を聞いたことはなかったな
・似たようなことをXジェンダーも思って聞いてたんだな

などと感じてもらえたなら幸いです。

 

私はXジェンダーの無性で、恋愛対象は男女両方です。

自分の性別がないと感じているので、どちらかという男も女も異性のような感覚。

 

Xジェンダーとは?ざっくり解説

自分の性別を無性、両性、中性、不定性と捉える人たちのこと。

つまり自分の性別がない、もしくは男女両方かどちらかの性別に当てはまると感じている人を指す。

 

 

『ハナノユメ』は『chatmonchy has come』というチャットモンチーのメジャーデビューミニアルバムの1曲目です。

 

 

 

いつも『ハナノユメ』を聞くたびに思い出すのは、Xジェンダーだとカミングアウトしていない高校時代の友人たちです。

 

部活動で濃密な時間を共にしたからこそ、お互いの良し悪しも知り尽くしている間柄。

ゆえに今更取り繕うこともできないし、込み入った話もできる。

「実はあのとき・・・」なんて会話も弾んだりしますよね。

 

そしてXジェンダーであることを隠し続けて異性愛者のふりをし続けた私。

私だけ演技をして、嘘をつき続けて生きてきたと思うと引け目を感じます。

 

そんな友人と自分との間で起きた出来事を、歌詞の解釈とともにお話ししていきますね。

 

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「もしかしてお前ってホモ?」という薄い紙の刃

 

「薄い紙で指を切って・・・」

これは『ハナノユメ』の冒頭の歌詞です。

 

薄い紙。私には恋愛に関して自身に向けられる数々の言葉がそれにあたります。

彼女いないの? 好きな女の子は? AV女優誰が好き? ・・・

 

なかでも特に印象に残った「薄い紙」で勝手に傷ついた経験があります。

 

時は大学時代。久々に高校の面々と飲み会をしたときのことです。

やっぱり話題は恋愛について。

時間に余裕があったり、小中学校の友人で結婚した人が現れたり、就活のためのインターンをうっすら意識し始めたり。

自然と今後の人生を思い描いてしまう時期でもあり、恋愛の話が出てくるのはある意味必然でした。

 

いま誰と付き合っている、別れた、出会いがあるかないか。

その流れで私が話題にあがりました。

実際に好きな人がいなかったこともあり、「好きな人はいないんだよね~」みたいなふうに返しました。

 

私はずっと、好きな人はいないスタンスで恋愛系の話をかわしてきました。

もしいたとしても男性を好きになることが多かったし、恋愛の話を誠実に伝えることは事実上のカミングアウトになってしまうのです。

 

しかし「何年も好きな人がいないなんてさすがにありえない」と話がどんどん進んでいってしまいました。

(いま考えると、誰にだって好きな人はできて当然だという考えも大きな偏見だなぁとも思ってしまいますが)

そのなかでぽつりと1人がいった言葉。

 

 

 

 

「もしかしてお前ってホモ?」

 

 

 

 

・・・バレた? 5年も守った秘密がここで?

どこでミスった? 心当たりを残すような発言も動作もしてないはずなのに。

一瞬で全身の血の気が引く。指先が痺れる。視界が揺れる。

 

 

いま、自分はどんな顔をしている?

何事もない、いつもの演技ができている?

早くしゃべらなきゃ。早く。早く、早くしないと不自然だから、

 

 

 

「いや全然、そんなわけないじゃん! ただ好きになれる人がいないだけだよ。」

 

 

とっさに出せたのは否定の言葉だった。

動揺してても否定の言葉がすぐに出てしまうほど、つきなれた嘘に傷ついた。

本当は、純粋な異性愛者じゃないっていいたい。

 

でも言えなかった。

なぜなら「ホモか」と問いかけた彼は冗談めかして笑いながら話していたから。

 

むしろホモじゃないよね、俺らと同じ種類の人間だよね、という確認をしたかったんだ。

 

もしかしていま仲良く過ごせているのは自分が異性愛者を装っているからなのかな。

もし男も好きになるんだってカミングアウトしたら、二度と話すこともなくなっちゃうのかな。

誰かと仲良くしたい、そんなエゴのためにいまも人をだましている。

勝手に友人と呼んでしまうのは、おこがましすぎるよな。

ここに居場所はあるのか? 本当は1人ぼっちなんじゃないか?

 

 

座っていながら立ち眩みがする。耐えないと動揺に気付かれる。

パニック状態のとがった心臓のまま、そんな思考がぐるぐると頭を駆け巡りました。

確かにあのときは席にいた友人たちと自分の間には深すぎる溝がありましたし、出口のふさがれたこの世の隅にいる感覚でしたね。

 

この友人もまた、「もしかしてお前ってホモ?」という発言自体を「薄い紙」だと思って話していたかもしれません。

誰かを傷つけるかもしれない言葉だ、っていう発想がなければそもそも冗談めかすように笑いながら喋ったりはしないからです。

 

あくまでもこの発言は、ただの薄い紙。

でも薄い紙がちゃんと刃になってしまう場面があることもまた、この友人は知っている。

そして知っていながら敢えて冗談めかして話している。

 

まあるい心臓に落ち着いたいま、そんな友人のさびしさを痛いほどわかってしまう自分もいます。

 

自分に嘘を重ねるなかで気付かないうちに枯れてしまった昔の気持ち

 

「枯れてしまったピンク色のバラ・・・」のフレーズは、イントロの後とラストに出てきます。

 

日々の度重なる、薄い紙による傷。

さっきの「ホモ」発言は単に印象に残っているから挙げただけで、日常を見渡せば恋愛関連で地味に傷つくことはたくさんありました。

そのなかでこれ以上恋愛で心を傷つけないために私がとった行動は、気にしないように意識することだったのです。

 

何を言われても笑ってごまかし、聞かなかったことにする。

彼女がいないことへの反応を求められたら、自分がバカだから、性格が悪いから彼女はできないんだと自己卑下してみる。

そして友人の「ホモ」発言。久々にガツンと胸に響きました。

 

ふと「いまの自分は何かに傷ついて、落ち込むことすらできなくなっている」と気付きました。

自分自身に嘘をついて沸きあがりそうになる感情をごまかすうち、傷つく感情すらもまるごとないものとして過ごせつつあったのです。

 

昔はあんなに傷ついて、泣いて、悲しんで、不安に思ったのに。

いまは傷つきそうになる前に心のシャッターが下りるようになれました。

 

でもそれは豊かな感情の1つに止めを刺すことにはならないか。

そのうち楽しいとか、嬉しいとかほかの感情も鈍くなってしまったら怖い。

 

・・・そう、怖くて仕方がなかったのです。

そのときそのときに傷ついたその感情すらも、大切な自分の一部だったんだと友人の発言を通してわかりました。

 

それからは自分の気持ちに素直になるように努めています。

そんな自分なりの水のやり方で、既に枯れ果ててしまったかもしれない気持ちを取り戻してみたいのです。

 

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セクマイの悩みも普遍的なものなのかもしれない

 

なんだかんだ歌詞のすべてに共感してしまいました。

おそらく悩みもまったく異なる人間だろうに。作詞の高橋さんは偉大です。

 

なにかに悩んだとき、根っこの部分はセクシュアリティなんか関係なく同じなのかもしれません。

なんならXジェンダーを含む、セクシュアルマイノリティにしか共有できない悩みはないんじゃないか、とさえ思えてしまいます。

 

そう思うと、電車で隣に座っている方、前に座っている方とも。

悩む原因はもちろんセクシュアルも違えど、根っこではおんなじような感情で繋がっている気がして、なんだか救われた気持ちになれる。そんな歌なのです。

 

自分は音楽には疎いので、詩をメインで解説してきました。

音楽はざっくりふんわりしか言語化できないので・・・

サビのところのベースのうねり具合と歌の切迫感がいいなとか。

「二本足で立つ~」のところのドラムがだんだんと力強くなっていく感じと感情のあふれ出ていく感じがいいなとか。

こんなざっくばらんにしか書けないので、もっといろいろ音楽について知れていたら楽しいだろうなと思いますね。笑

 

『ハナノユメ』の作詞はくみこんこと高橋久美子さんですが、ほかのお二方もとてもいい詩を書かれているのでまた解説めいたことができたらと思っています!

 

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