駅前でぼろ雑巾のように転がるお兄さんの話

駅前のベンチ 1人暮らし・新生活へむけて

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ぼろ雑巾のように転がっているお兄さんがいた。

引っ越し先の駅前のベンチにいつもいる。

 

服装は変わらない。

寝そべっているベンチも変わらない。

 

くたびれていてベンチの上でのびている姿から、いつしかぼろ雑巾のお兄さんと呼ぶように。

そんなぼろ雑巾のお兄さんにまつわるお話です。

 

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ぼろ雑巾のお兄さんは駅前の住人だった

 

朝通りかかるときにそのぼろ雑巾はいて、夜帰るときにはいつもいなかった。

でも次の日には朝陽の当たるベンチで寝ているのだった。

 

最初こそ驚いた。周りの人が見向きもしないから。

風景の一部のように、ここに住んでいる人にとっては当たり前の存在なのだ。

 

明日の予報は雨だけど風邪ひかないかな。

頬がこけてるように見えるけどご飯は食べられているのかな。

硬いベンチで身体は痛くないのだろうか。

 

そんな心配もいつしかしなくなってしまった。

自分も所詮はまわりと同じ人間だったのだ。

 

気になる行方

 

そのうちぼろ雑巾のお兄さんを見かけない日が出てきた。

居候先でも見つかったのかな、とちょっぴり安心した。

 

でも曜日は決まっていないし、相変わらず服も変わらない。

季節はどんどん冬に近付いていて、雨が降るときは凍えるような寒さになることも増えてきていた。

思ったよりも事態は単純ではなさそうだった。

 

腕は袖から出さず、足先もなるべく外気に触れないように少しでも暖をとろうとしているお兄さんは、やはりぼろ雑巾であった。

 

しばらくするとぱったりと姿を眩ましてしまった。

それでもぼろ雑巾のお兄さんがいたベンチを誰も見向きはしなかった。

そこにいるのが当たり前の存在なんかではなくって、本当の意味でのいてもいなくっても変わらない存在だったのだ。

 

コートが必要な時期に差し掛かっていたので外での生活は命の危険がある。

気にかけるぐらいなら、何かをしてあげられたら良かったのではないか。

いや最後まで責任を負うことになるかもしれない覚悟はあったのか。

所詮この気持ちも偽善でしかなかったのではないか。

いろいろな考えがめぐったが、会うことのない日々が積み重なるうちにぼろ雑巾のお兄さんの存在すら忘れるようになっていった。

 

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ある平日の朝10時ごろの駅前にて

 

有給休暇をとった平日の朝のこと。

いつも通るよりも2時間半も遅い時間のことだった。

 

なんかめちゃくちゃ駅前に人がいる。

しかもみんなベンチに寝転がってる。

 

そう、この駅前のベンチは格好のぼろ雑巾スポット。

ぼろ雑巾のメッカだったのだ。

朝の通勤ラッシュ時にぼろ雑巾しているお兄さんがイレギュラーなだけであって、この駅を利用する住民にとってこのぼろ雑巾ムーブ自体が日常だったようだ。

 

そう考えるとぼろ雑巾のお兄さんに無関心だったのもうなずける。

ぼろ雑巾のお兄さん個人ではなく、駅前のベンチで人がぼろ雑巾してること自体が日常だったからだ。

 

冬があけ、春が舞いこむ。

空からそそがれる光に包まれ、今年もお兄さんはぼろ雑巾のように転がる。

 

おじさん、おばさん、若者、そして親の寝顔よりも見たお兄さん。

思い思いのぼろ雑巾の仕方で過ごすのを横目に、大人への階段をさらに一歩踏み出せたような気がした。