家族葬で送られたいと言った祖父みたいに亡くなりたいと孫の自分が思った話




 

どうも、あらけきです

 

さまざまな生き方が氾濫している昨今、その生の終え方も多様になってきています

そのなかでも死にゆく人がどうしても決めきれないことの1つに、葬儀のあげ方というものがあります

仏教式、カトリック式などの宗教に則って葬儀をあげる一方で、家族葬も増えてきているそうです

 

実際に自分は祖父を家族葬で送りました。とってもいいお見送りができたと、数年経った今でも思っています

と、なんとなくですがお葬式というものは遺族が亡くなる人に”して”あげるものという感覚を持ちがちです

しかし思い返してみると、お葬式は亡くなる人が遺族に残したいものを残せる機会でもあったのだと感じています

 

そのことも合わせて、なぜ自分は家族葬でよかったと思えたのか。それを孫という立場ながらお伝えしていきたいです

そのうえでどうすれば納得の行くお葬式をあげられるのか、考えを深めて後悔のない選択をしてもらえたら幸いです

 

葬式の主導権は故人でも握れる

 

お葬式の主役はもうすでにこの世を去った方です

なので主導権は「この世に生きている人」と考えがちですが、故人がその主導権をがっちり握ることも可能です

 

祖父はまさにその主導権を握って、亡くなる前からどんな葬式にするのかを遺言として残しておき祖母と叔父、叔母に伝えていました

そのとおりに式を執り行って得られたもののすべてが、祖父の残してくれたものでした

それをふと考えたとき、

 

おじいちゃんまじですげぇ。こんなにいいお葬式、他にはない。最期まで生きる人のことを考えてくれてたんだなぁ

 

としみじみ思ってしまいました。お葬式なのに最高のお葬式だなんて、自分でも変な感じですが 笑

 

どんなところで主導権を握っていたかというと、「誰を葬儀に呼び、どんな葬儀にするか」というところです

 

祖父は「親戚と近隣の限られた人のみで家族葬をしてほしい」と言った

 

祖父は葬儀で誰を呼ぶかどうか、用心深く検討していました

そのなかで、ごくごく小さな規模での家族葬を願ったのです

親戚と近所の親しい住民のみでの葬儀を

 

その本当の理由は今となってはわからないのですが、3つ思い当たる節があります

・祖母や叔父、叔母の葬儀への負担を減らすこと

・祖母がひとりにならないようにすること

・お通夜は大宴会をあげてほしいということ

 

もともと顔が広かった祖父がなぜ家族葬にこだわったかというと、ここに理由があったんじゃないかと思っています

 

遺族への負担を減らすため

 

先述のとおり、祖父は顔の広い人でした

もちろんお世話になった人も非常に多く、大々的に葬儀を公表すれば相当な人が集まったのではないかと考えられます

 

しかし祖父はそれを望みませんでした

それは遺族への負担を減らすためだったと思っています

 

人が増える分、葬儀に関わる金品のやりとりをはじめとした事務作業も膨大になります

長いあいだ支えてくれた祖母や叔父、叔母が死んだ自分のしがらみに囚われてしまわないようにしたかったのかなと思います

 

また家族葬では宗教関連の手続きも減らせるので、そこも考えていたのではないかと勝手に思っています

祖母の居場所をつくるため

 

自分が亡くなったあと、祖母がさみしい思いをしないように限られた人での葬儀をあげたのではないかと思っています

これは単純に祖母と、親戚や近所の住民が仲良くなってもらいたかったから家族葬にしたのではないと分析しています

 

きっと祖父の狙いは、自分たち親戚と近所の住民が仲良くなることでした

葬儀の場で近所の人と親戚とが仲良くなってくれれば、必然的に祖母や祖母の家をとおして繋がる機会が増えます

このように祖母を自分の属していたコミュニティの中心になるよう、ごく自然に誘導していたのではないかと考えています

 

実際に何か集まろう、となったときの中心には必ず祖母がいます。祖母に少しでも太い社会への繋がりを残してくれていたんだと感じています

 

お通夜は大宴会をあげるということ

 

祖父には夢がありました。それは子供、孫の全員とお酒を飲みながら自宅で宴会をすることでした

体調が悪くなってからは家に帰ることもできず、最期までそのことを悔やんでいました

 

しかしその代わり、葬儀では親戚、近所の住民で大宴会をしてほしいと言っていました

湿っぽくやられるよりも笑顔で楽しい葬儀にしてほしい、と

こうした葬儀は家族葬で、しかも祖父の性格を深く知る人としかできなかったものだと思っています

 

やはり普通に考えて、葬儀で宴会をあげることは不謹慎でしょうし抵抗感があるはずです

そのため不特定多数の参加者を呼んでしまったときには、苦言を呈する人や、激昂してしまう人もいたかもしれません

それは特に年を重ねている人ほど、またお堅い職業に就いている人ほど顕著だろうと考えられます

 

そのなかで自分の理想の葬儀を行ってもらうにはどうしたらいいかと考えたとき、仕事以外で自分のことを深く知っている人たちなら喜んで受け入れてくれるだろうと踏んでの人選だったのかなと思っています

 

この大宴会は思い出話に花を咲かせながら、各々泣いたり笑ったり力尽きたり、悲しくってやりきれなくってしょうがないカオスすぎる宴会(お通夜)になりました 笑

ただこの宴会がきっかけで近所の方々とはもちろん、親戚同士の仲もぐぐっと深まったなぁと実感しています

 

やっぱり同じ感情を共有して、同じものを食べて同じ話をしながら同じ時間を過ごしたからこそ、今でも良好な親戚付き合いができていると思っています

でもそれって、たぶん大人になればなるほど得難いし経験もしづらいものでもあると思います

そんな場所を与えてくれた祖父には本当に感謝してもしきれません

 

狙いと目的をもった葬儀を行うなら家族葬がよい

 

祖父が自分たち遺族に残してくれたものは3つありました

・葬儀に関わる負担を少しでも減らしてくれたこと

・祖母の居場所をつくってくれたこと

・生きている人同士の繋がりを深めてくれたこと

 

こうした未来への明確なビジョンがあって、そのために家族葬でないといけないんだという理由があるのであれば断然家族葬がよいと思います

むしろ家族葬でよかったと少なくとも自分は思いますし、きっと葬儀に関わった人もみな同じ気持ちだと思っています

 

ただ何らかの宗教のやり方に則った葬儀のほうが確実に無難ではあります

やはり周囲に手紙を出して、正式な手順で葬儀を送れたほうが遺族側の世間体は保てますからね

 

お通夜で大宴会、死は本当に限られた人にしか伝えない、そんなイレギュラーすぎる葬儀を検討するのであればぜひ

しかし大宴会も大概ですが、死を伝えるか否かは誠実さに欠ける行動とも言えますから注意が必要です

実際に生前かかわりのあった人から連絡があり、事の顛末を話すと激昂して「金輪際、縁を切る」と祖母が言われてしまったそうです

 

ただし、そこは祖父も祖父。「葬儀のことで何か言われても全部自分の指示でやったと言えばいいから。どうせ死んでるし」と既に伝えていたようです

いくら死人の指示とはいえ、納得してもらえるかどうかはまた別の話なので難しいところです。悲しいことですが割り切りも必要だと思います

 

よっぽど譲れないものがあるならば、直観を信じて家族葬の選択をしてみるのもアリだと思います。きっと伝わってほしい人には伝わります

自分だって死んだとき、この祖父のような葬儀をあげたいしあげてもらいたいと思っているほどですから

 

葬儀の形態を決めるには世間体だけでなく、親戚、家族との折り合いがつかないこともあるでしょう

こうした葬儀はほんの一例です。どうか、悔いのない一番納得のできる葬儀を話し合いながら検討してみてください

 

それでは!

 

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