当ブログの運営をしている、あらけきの紹介です。
目次
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あらけきって何者?

こんにちは! あらけきと申します。
簡単ですが、ちょっとした自己紹介をはじめさせていただきます。
名前:あらけき
年齢:24歳
性別:無性(身体の性別は男性)
生息地:都内
職業:社会人 → 休職中
音楽:チャットモンチー、ブルーハーツ、レキシ
料理:酢料理、和食、チーズナン
スポーツ:見るならなんでも。やるなら陸上
ゲーム:サガシリーズ、ソウルシリーズ、他にもいろいろ
ブログを始めようとした、きっかけと理由
「いろいろな考え方を発信することで、読者の方々が前向きに生きられるような手助けができれば嬉しい」
そう考えてこのブログを始めました。
なぜなら自分こそがブログに救われた経験があったから。
今度は自分が誰かを救えたら、なんて想いを持ったんです。
ブログには私の視野を広げてさせてくれました。
なかでも「多様な生き方をしている人がいる」という事実には勇気づけられたものです。
特にXジェンダーという、男女のどちらにも偏らない生き方をする人がいると知ったことがターニングポイントとなりました。
Xジェンダーとはセクシュアルマイノリティの1つ。
「もしかしたら自分はXジェンダーなのかも?」と様々なブログを通して気付いたことがきっかけで、今まで自分が抱えてきた孤独感や疎外感が徐々にほどけていったんです。
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セクシュアルマイノリティにも居場所を見出せなかった青春時代
Xジェンダーを知るまでの私は、自分がなんなのか分からないまま生きてきました。
というのも、小学校ごろから男女別に分けられることが増えてきたときに「自分ってなんで男なんだろう」と疑問を持ち始めたからです。
恥ずかしながら私は同級生や先生から「かわいい」と言われる機会が多かったのです。
また幼稚園ごろも男女分け隔てなく遊び、ドッジボールからおままごとまで。誘われるがままにたくさんのことをしてきました。
そして小学校へ上がったとき。私は性差という考えに打ちのめされ始めます。
・女子と遊んでて喧嘩したとき、どんな理由であっても男だから我慢しろと先生に叱られる
・クラスのほかの男子は「くん」付けで呼ばれるのに、自分だけ「ちゃん」付けで先生に呼ばれる
・さっきまで仲良く遊んでたはずなのに、男子だからという理由だけで女子から仲間外れにされる
・学年1レベルで華奢で、しかも運動神経もよくなかったのもあり、スポーツなどの身体を使う男子の遊びでは爪弾きにされる
・男のくせになんで女の遊びをしてんだよ、男のくせにそんなこともできないのかよ、と男子女子大人関係なく言われる
普段の生活ではみんな優しいし、仲良くできるのに。
女子からは性別が絡んでくると、男子同士では男性らしさが絡んでくると急に周囲の対応が変わったのです。
特に恋愛の話になれば、女子は付き合うなら背が高くてかっこいい男子がいいと言い、男子は付き合うならかわいい女子がいいと言いました。
当時から恋愛対象は両性だったので、
女子に対しては「自分は男として欠陥がある」
男子に対しては「かわいいなら自分でもいいはずのに男だから付き合えない」
という強い先入観を持つようになっていきました。
それでも「かわいい」と言われて関わられれば、なぜかまんざらでもない自分もいました。
もはや「かわいい」と言われすぎていて、「かわいい」と言われることが自分のアイデンティティの1つになってしまうほどだったのです。
それに同級生や大人から「男らしくない」と言われてつらかったことも、じゃあ言われないように「男らしくなるために」頑張れるかと言われればそんな自信も湧きませんでした。
なんとなくやっても無駄なんだろうな、なんて変な諦めがあったのでしょうね。
でもそれ以上に、『男らしくなるための努力をした末に男として見られなかったらどうしよう』という不安が勝っていました。
きっとそれを自分で証明してしまったら、今度こそ立ち直れないかもしれない。そう思ったら『変わる努力』をするのが怖くてたまりませんでした。
男になりきる努力もしない。かといって物理的にも女にもなれない。そんな半端すぎる自分という存在が大嫌いでした。
そして自分はどちらの性別にも馴染めないという、抗えない強い気持ちを持つようになりました。
そんな状況でわかったことが1つありました。それは周りを見ても自分と同じように悩む人間はいないということです。
それは学校生活で見てきた人間関係はもちろん、ネット上でもいえることでした。
同性に興味を持つことも多かったので、少なくとも性的マイノリティに含まれるはずだという検討はつきました。
ですが当時はレズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーぐらいしかセクシュアルマイノリティの情報がなかったのです。
『セクシュアルマイノリティ』というマイノリティにも、「どっちの性別にも馴染めない」という自分と同じ考えを持つような人を見つけられませんでした。
「自分は何なんだろう。マイノリティにすら居場所のない自分なんて、何者なんだろう」
自分のことなのに、自分が一番理解できない。
その揺るがすことのできない事実は本当に私を苦しめました。
ですが近年、LGBTがメディアに頻繁に取り上げられるようになったのと同時に、LGBT以外の性的マイノリティの情報もかなり増えていきました。
そこで偶然、「どっちの性別にも馴染めない」という方のブログを知りました。
そこでXジェンダーを知ったとき、自分はこれだ! と思ったのです。
自分と同じように悩んで苦しむ人がいるという安心感が、私をひとりぼっちから救い出してくれました。
結局、この悩みに決着をつけるまで16年もかかってしまいました。22歳の秋が終わりを迎えていました。
Xジェンダーとの出会いがブログ運営にかきたてた
今まで私は周囲になじむために必死で嘘をつき続けてきました。
なぜなら『自分の居場所』を失うことが本気で怖かったから。
Xジェンダーを知る前はセクシュアルマイノリティにも居場所がないと考えていました。
なので実生活の人間関係が壊れてしまったら本当に行き場がなくなってしまうと思っていたのです。
だからこそ余計に周囲の反応を気にして、嫌われないことを第一目標にして生きてきました。
恋愛の話になれば適当な女子を好きだといってごまかしたり。
彼女を作らないことを問い詰められれば、今はあんまり恋愛する気分じゃないなんて言ってみたり。
自分に嘘をつき続け、その嘘に違和感があってもすぐに押しつぶして気にしないふりをし続けました。
いつしか「周りと同じであること」に安心感を覚えるようになりました。
周りと同じであることを確認できたら、今まで抱えてきた孤独感や疎外感をごまかすことができました。
そうする限りは誰とも悩みや苦しみを共感できない現実から目をそむけることができて、そのコミュニティの中の「普通の人」になることができたのです。
ですがXジェンダーを知ってからは、良くも悪くも「ああ、自分は自分でしかないんだ」と妙にすんなり腑に落ちてしまいました。
だって実生活でLGBTすら見かけなかったのに、LGBTよりも少ないXジェンダーが自分だったということは、ほとんどの人とは違うということですもんね。
そしていくら普通になろうとしたって、そもそも普通じゃないんだからなれるわけがない、とも。
同時に自分自身で、ある種の強迫観念を生み出し続けてきたことにも気付かされました。
『誰かと同じになれない自分に価値はない』という思い込みです。
ずっと誰かと同じであることに安心感を求めてきた生き方がいつの間にか『誰かと同じじゃなきゃダメなんだ』という強迫観念のようなものにすり替わっていました。
知らず知らずのうちに自分で自分を縛り続けてきてしまったんですね。
そこでやっと、自然体の、何も取り繕っていない自分を受け入れることができました。
もう所詮、気の持ちようでしかないんだってことに気付いてからは。
控え目にいっても、こんな経験は22年間生きてきて初めてのことでした。
それまで自分にないものばかりが欲しくって、自分の苦手なことや嫌いなことを無理にでも挑戦してきて、できなかったことばかりを見ては自分を責め続けてきました。
自分は「普通」にすらなれないのか、と。
自分を受け入れることができてからは、自分が得意なことや好きだと思えることを考える時間が増え、自己否定をすることも少なくなり、毎日が楽しくポジティブな気持ちで過ごせるようになってきました。
そしてふと思ったのです。
何にもなることができず、もしかしたら自分の居場所が世界のどこにもないんじゃないか、という形のない不安に押しつぶされそうになって、無力な自分を責め続けている人ってたくさんいるんじゃないか。
自分と同じように悩む人ってたくさんいるんじゃないか、って。
「今度は自分がブログで誰かを救いたい!」
そう思えた瞬間でした。
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マイノリティに発信したいこと
自分が孤独感といった不安から解放されたきっかけは、自分の収まる枠を見つけられたことでした。
ゲイでもバイでもトランスセクシャルでもなく、Xジェンダーこそが一番自分らしさを表している、と気付いたように。
裏を返せば、ただそれっぽっちのことで済んでしまう悩みでもあったのです。
なのになぜその枠を見つけられなかったのか。
それは様々なマイノリティに関する情報の絶対数が少ないために、悩んでいる人へ情報が届かないことが原因じゃないかと考えました。
現に自分がXジェンダーという言葉に出会えたのは、世間の性的マイノリティを広まっていく流れがあってのことだと思っています。
LGBTが話題に取り上げられるのと同時に、ネット上に性的マイノリティの周辺知識も増加してXジェンダーを知るきっかけも増えていったから、Xジェンダーを見つけられたのかな、と。
またいくら情報が充実していたとしても、存在すらわからないものをドンピシャで検索して調べることは至難の業ですから、やっぱりマイノリティに関する情報の絶対数が必要だと思うんです。
なので性的マイノリティがいまだに世間で取り上げられていなかったなら、自分はXジェンダーという存在に出会えていないはずでしょう。
自分で自分を認めてあげられない、そんな人を一人でも少なくしたい。
そのために、このブログをいろいろな場面に潜むマイノリティ性を紹介したり考えたりする、そんな場にしていきたいのです。
具体的にいうと、性的マイノリティはもちろん、障がいの有無であったり、身長が低いというようなコンプレックスにも触れようと考えています。
そうしたマイノリティの当事者や劣等感をもつ人にとって、このブログが自己肯定の場になればと思っています。
マイノリティ以外の方に向けて発信したいこと
一方でマイノリティの当事者以外には、思考訓練の場としてこのブログを活かしてもらえたら嬉しいです。
いちいちマイノリティを気にするのなんて面倒、とも感じるかもしれません。
ならば、自分を成長させるためにマイノリティについて考えてみるのはどうでしょうか? という提案をしてみようと思います。
・柔軟で自由な思考や発想を得るため
・人間関係を今まで以上に良くするため
特にこの2つに有効なんじゃないかと考えています。
柔軟で自由な思考や発想を得るため
1つ目は、柔軟な思考を育てる場として考えてもらうというものです。
その手段として、マイノリティへの偏見を減らす努力は役立つはずです。
マイノリティの生きづらさの多くは当事者以外の人による偏見も1つの原因なので、そうした偏見を取り払う記事を書くことも多くなるかと思います。
その記事を読んでマイノリティについて考える中で、自分の考えのどんなところが偏っているのか探ってほしいのです。
偏見を正せ! とまでは言いませんし、それを強制するつもりもありません。
ただ自分が偏見を持っていると自覚しているのと自覚していないのとでは、物事の見方は大きく変わっていきますよね。
このように偏見と向き合うということは、新たな発想を自分に取り込むことでもあります。
より自由な発想を得られると考えれば、マイノリティについて考えることもそう悪くはないはずです。
もちろんマイノリティの人と対面しなければならなくなったときでも、偏見のない配慮のある対応ができるならそれだけ得ですよね。
人間関係を今まで以上に良くするため
2つ目は、自分の中の当たり前を疑う場として考えてもらうというものです。
そうすることで、周囲の人とより円滑な関係を築けるようになるはずです。
マイノリティを理解するということは、大なり小なり自分とは異なる人を受け止めて認めることです。
このとき、自分の中の常識ですべてを理解できないことに気付くはずです。
それはマイノリティの悩み自体が理解できない、ということに代表されるかなと思います。
「それって悩むことなの?」
「そんな悩み、マイノリティを盾にして甘えを正当化したいだけじゃないの?」
そう感じてしまうことも無理はありません。
なぜなら人それぞれ生活環境や性格が違えば、育まれてきた価値観も大きく違ってくるからです。
となれば、同じ状況でも人によっては悩みになるかもしれないし、その悩んでる人の中でも死を考えるほど悩む人がいてもおかしくないわけです。
そのように、自分の考えていることが全ての人に当てはまっているわけではない、
つまり自分の当たり前は人によっては違う、という感覚をつかむ練習としてマイノリティを理解することは役立つかなと思います。
そしてぜひ、その感覚をもって日常生活を過ごしてみてください。
普段あいさつを交わしている同僚や友人、あなたに辛く当たってくる人、あなたが好きな人、あなたが憧れている人、当たり前のようにあなたの隣にいる人・・・
そんな人たちの行動で嫉妬したり、失望したりイライラしたりしてたことにも、少しは広く優しい心で接することができると思います。
もしかしたらあなた自身にも(!)優しくなれるかもしれませんね。
マイノリティについて考えることをとおして、自分や他者を受け入れることに繋がればと思っています。
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記事を書くうえでの立場
マイノリティといったデリケートなテーマを扱う以上は、どんな立場から主張をしていきたいのか、というのは気になるポイントではないでしょうか。
私はマイノリティの権利を主張したいんだ、マイノリティだって堂々と暮らしたいんだ、という立場ではありません。
マイノリティに関連した記事を書く場合にはマイノリティへの偏見を解きたい、という立場で書くつもりで、偏見からくるマイノリティへの嫌悪を減らしていきたいです。
そのうえでいくら偏見を取り払ったとしても、理屈抜きでマイノリティへの嫌悪がある人もいるはずです。
そんな人の意見や感情は無視していいのかといえば、私はそうは思えません。
やはりマイノリティで差別を身をもって経験してきた以上、マイノリティを認められない人への逆差別が起きるのも怖いことだな、と思ってしまうんですよね。
自分がされて苦しかったことをやり返して、「お前も同じ苦しみを味わえ!」という発想はわからないでもないのですがやりたくありません。
だったら自分がされて苦しかったからこそ、「誰も同じ苦しみを味わわないように」と手を差し伸べられる存在でいたいのです。
正直みんながみんな納得する主張なんてありっこないのですし、私の言っていることもうっすらと綺麗ごとでしかないとも思っています。
でも諦めたくはないので。あくまでも中立な立場で様々な人や意見を尊重しながら、自分なりの答えを探していきたいです。
書きたい記事の内容
なぜXジェンダーだと自覚するようになったか、性的マイノリティがどんな生活をしているか、あんまり想像できない人もいると思うので自分の半生や趣味の話もできたらなぁ、と。
その中で、
「もしかしたら自分はXジェンダーかも?」
「Xジェンダーとかいってるけど、全然普通の人じゃん」とか、少しでもあなたの視野が広がれば嬉しいです。
他にもマイノリティに関係なく、何かの選択を迷っている人の背中を押せるような記事も書きたいと思っています。
今となってはマイノリティに関係ない記事のほうが大半なので、配慮をもって好きなことを書けたらなんて考えています。
ブログ運営をとおして実現したいこと
実はブログの開設にあたって密かな野望ももっていたりします。
「どんな生き方や考え方でも、共感はできなくても理解できるような人間になりたい」
「そして自分を見失って途方に暮れている人に、今度は自分から手を差し伸べられるようになりたい」
自戒もこめてですが、まだまだ私も偏見に囚われることが多いなと感じます。
なので読者の皆さんと一緒に多くのことを学んで、広い視野を持っていろいろなことを考えられるように成長していきたいです。
最後までお読みくださり、ありがとうございます。
どうか、よろしくお願いします!
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